2025.12.21

2025年11月21日(金)門脇耕三氏講演会 報告

2025年11月21日(金)、 明治大学教授の門脇耕三氏を招き、北海道科学大学建築学科レクチャーシリーズ_00「雑多さの構造」を開講した。
本講演会は、建築学科の学生を主な対象として実施し、一般来場者を含め138名(学内108名/学外30名)が参加した。

門脇耕三氏は、明治大学教授、および建築設計事務所アソシエイツパートナーとして活動する建築家・建築学者である。「建築構法」を専門としながら、建築批評や建築設計などその活動は多岐にわたる。建築を構成する部分であるエレメントに着目した独自の設計論を提示し、自邸《門脇邸》(2018)で日本建築学会作品選奨(2020)を受賞。2021年には、第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示のキュレーターを務めるなど、国内外で活躍している。

●出会い方のデザイン
「気楽に話しますので、気楽に聞いてください」という門脇さんの宣言通り、フランクな語り口調で始まったレクチャーは、学生時代に熱中したというサブカルチャーの話から始まった。映画や音楽におけるモンタージュ的な編集技法からの学びを基に、90年代当時流行していた歴史主義的なポストモダニズムに対して、デザインを構成する単語の質に頼らず、その出会い方のデザインによる建築のつくりかたに可能性を感じたという。そこにあったのは、強い図式性(=建築全体を律する構成・約束事)による設計が、どうしても孕んでしまう外部をどう乗り越えるかという問いでもあった。

●空間的・時間的拡張性を帯びる建築
門脇さんが提示するのは、建築的領域において切断的様相を帯び(=ばらばらであり)ながら、都市的スケールにおいては連続的な建築を指向する、いわゆる「エレメント論」と呼ばれる設計方法論である。ここでは、強い図式性のようなプライマリな存在は登場せず、エレメント同士の場当たり的な関係性が創出される。こうした方法論によって設計された《門脇邸》では、有名デザイナーによって制作された家具や、隣家のトマソン化した扉といった個性的で多様な主体達が自由にふるまいながらも共存する空間が構築されている。その空間体験は、意識が散漫になるような都市的な体験に近く、空間的・時間的境界の無効化によって、連続と断絶が同時に立ち現れる独特の広がりを持つものとなっている。また、絶対的な建築家像(=ハブラーケンが批判する「ミダースの王」)を前提としないこうした設計スタンスは、「自身がアマチュアであることを誇りに思う」と語る門脇さんならではの建築家的ふるまいであるように感じた。

●公共性を獲得するエレメント
2021年のヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示では、日本の木造住宅が解体によってその関係性をほどかれ、字義通り雑多なモノとして再登場する空間が構成された。そこで示されたのは、建築は雑多なモノたちのひとときだけの集合であり、それらは時間と空間のひろがりの中に生きているという事実であった。会期中常に動き続け、展覧会終了後にはノルウェーへと場所を移して新たな建築として再構成されていくそれらの雑多なモノたちは、建築の専有不可能性──言い換えれば、建築が常に多様な行為主体へと開かれた参加可能性──を力強く示している。ここでは、建築家はもちろんのこと、製作に関わる職人や通りすがりの人々、そしてかつて柱だった木材や屋根を覆っていた瓦までもが、等価に登場人物として扱われる。こうした多様な主体との関わり合いの中で、エレメントが公共性を帯びるとする門脇さんの指摘は、これまで主に住宅建築において展開された方法論が、現在取り組んでいるという公共的な建築へとどう接続していくのかという疑問に、重要な示唆を与えるものであった。

●オープンエンドなレクチャー
門脇さんのレクチャーは、予定していた質疑時間を一切残すことなく、90分の時間いっぱい(厳密には90分を超えて)行われた。もはや終わらないかとも思われたレクチャーは、まさに、終わりを無限に先伸ばすことが可能な、オープンエンドなレクチャーであり、それはつまり、このレクチャーの構成自体が、門脇さんが言及する「かたちのない構成」によってデザインされたものであったことを意味する。おそらく、スライドの順番自体も、如何様にも抜き差し可能であり、その出会い方のデザインによって、どんな場面にも対応可能な、まさにこの講演タイトルの「雑多さの構造」を体現する物であったといえる。一方で、切断的なエレメント達がそれでも取り結んでしまう構造(事後的に獲得される全体性?)の正体については、今後さらに思索を深めるべき問いとして残されたように思う。

このレクチャーが、建築や設計における基本となる文法規則や単語を学び始めたばかりの学生達に与えた影響はいかほどだったのか。講演会終了後に開催した懇親会で、門脇さんを囲む学生達の輪が途切れなかったことからも、その大きさは推して知るべしであるといえる。

長谷川 敦大

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